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2017.06.15 Thursday | - | - | -
vol.37 【東日本大震災】「家はあるはずだ」と思っていた。でも、現実ってそうじゃないんだな
 震災ときはみんなに助けてもらいました、ほんとに。避難所が孤立状態となり、クッキー二枚で三日間とか過ごしたという人よりはありがたかったですね。家族は、娘(当時小6)と両親と祖母の5人です。仮設は狭いので、私と娘、そして両親と祖母の二つの部屋に別れて住んでいます。生活していると荷物が増えますので、仮設住宅内が狭くなってきましたが、避難所よりはよいと思います。

 もともと家は海岸線から200mほどのところの国道45号線沿いにありました。近くには大谷駐在署がありました。やや高台になっていますので、まさかそこまで津波がくるとは思っていませんでした。

 3月11日の地震があったとき、私は気仙沼市南町で美容師の仕事をしていました。海が近いので、とりあえず、自分たちよりもお客さんを早く帰そうと思いました。薬品もあるので、そのままにはできないので、片付けたあと、自分たちも近くの高台に逃げました。本当に恵まれていたな、と思って。船着き場が近く、海が近いけど、逃げ場があったんです。

 あと、従業員3人だけで逃げたんです。従業員1人が「私たちは子ども達がいるから逃げなきゃいけない。」と言ったんです。「そうだね。とりあえず、逃げよう」ということになったんです。何もなければ、戻って来て、お店を掃除しようということになったんです。その一言があったから助かったんです。自分たちは一応、準備しました。こんなの何回もあっては困るんですけど。

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2012.10.14 Sunday | 社会 | comments(0) | trackbacks(0)
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