「世界」を終わらせる口実探し?─美しき少年の自殺から
この世からきれいに消えたい。―美しき少年の理由なき自殺 (朝日文庫)
この世からきれいに消えたい。―美しき少年の理由なき自殺 (朝日文庫)
藤井 誠二,宮台 真司

 秋葉原通り魔殺傷事件に関して、とあるコミュのオフ会に参加した。場所はJR神田駅近くの喫茶店。3つのグループにわかれていたが、私はそのひとつに加わった。

 遅れて参加したために、それまでの流れが分からずに、最初は場の空気をつかむしかない感じだった。途中メンバーが入れ替わったりして、話題が拡散となっていく。そんな中で、容疑者には友達がいなかった、という話になった。

友達ってなに?

ある人が、言った。

 「友達ってなんだろう?」

 私はなんだろう。大学1年生のとき、ちょっとそういうことを考えたことがあり、古本屋で見つけた「友達はいますか?」というタイトルの本を買った、という記憶がある(内容はほとんど覚えていない)。また、サークルの先輩との「シンユウ」談義を思い出す。「シンユウ」とは「新友」、「親友」、「信友」、「真友」があるのではないか、とか話したっけ。

 そんなことを考えていたら、別の参加者が、

 「友達って、安定剤だと思う」

 と言った。安定剤か。私はある時期、歌舞伎町が安定剤だった。本にも書いたことがあるが、何者でもない匿名の存在になれ、日常を背負っているものを一瞬だけゼロにできる、そんな感覚を抱いていたことがあった。そんな街で、同じように匿名の存在になっている他者との出会いも、心地よいものだった(現在の歌舞伎町は、そんなムードは以前よりも薄れてきている)。

カノジョという存在

 そんなこんなで、「カノジョ」という存在はなんだろうという話になった。ある人が言ったのは、

 「自分を愛してくれる存在の象徴だったんじゃないか」

 と。つまり、カノジョというのは、自分を承認してくれる存在の代表例としてあるのではないか、ということだ。たしかに、一定の範囲で、「カノジョ」というのは、自分自身を認めてくれる存在ではある。誰かとつながりたかった。友達でもよかった。でも、なかなか友達ができない。つながりの象徴として「カノジョ」を求めたのだろう。

 ただ、私は思った。たしかに、承認される理由なのだろうけど、別の側面として、「カノジョ」は、自分が働きかける存在であり、「カノジョ」側からすれば、自分が認める役割になる。誰かの役に立ちたいという心理もきっとあるのだろう、と。彼ほどの弱みを持っているのであれば、逆に誰かを支えることで、弱さを克服できることもできるのではないか。そして、そうした「役に立ちたい」という欲求は、ある程度の人は持っているのではないか、と。

 そんな話をしていたら、承認とは別の面を指摘した参加者がいた。彼は、容疑者と似たように、自動車工場での派遣社員を経験している。その彼にとって、仕事は非常に苦しく、明日どやって生きて行けばわからないくらいで、「絶望しない方がおかしい」と言っていた。そんな絶望の状況で、自分の状況を考えられるほど、周囲が見えていない。

 ただ、その彼に「カノジョ」ができたとき、このままじゃいけないと思い、派遣社員をやめたのだという。彼にとっては、現状を打破したいが、そのエネルギーがなかった。しかし、「カノジョ」という存在が、自分の状況を打破するエネルギーを注入したことになった、というのだ。

 「カノジョ」という存在は、現状を変えようとする力をうむ─。そんな面があるとは目から鱗だった。カノジョを大切にしたい、そして少しでも将来を考えたとき、不安定でしかも、不安を常に感じる環境にいれば、その状況を少しでも改善したいと思い、それを実現しようとする力があるのか。とてもよい発見だった。

 容疑者は、状況を変えたかったのか。しかしそのエネルギーがわかず、多少なりともエネルギーがわいたとしても、その方向をどっちにもっていけばよいかわからなかったのかもしれない。

 そんな絶望的な存在の場合、社会に期待しない人物が産まれる確率がある。まだ、反社会的な行為であれば、たしかに社会にとって、ある種の危険性を産む。一方で、それは社会への何らかのアピールだろう。行動はアピールそのものが目的になる。しかし、そんなことも望まない「脱社会的存在」になったとき、絶望的な世界を終わらせたい。そんな欲望がわいてきても、不思議ではない。そこに、起こした犯罪それ自体には「理由がない」。

宮台になれなかったS君

 「理由がない」でお思い出す本がある。かつて、社会学者の宮台真司氏と、ルポライター藤井誠二氏との共著「美しき少年の理由なき自殺」という本が出版されています。この本は「この世から消えたい」と改題して、朝日文庫から出ています。

 この本は、宮台に憧れ、宮台になりきれなかった「美しき少年」のS君が、なぜ自殺したのか?を書いたものです。藤井はS君の痕跡を追い、宮台はS君が残したノートなどを見て、分析し、自己批判する内容になっている。

 S君は中学のころから、予定調和のコミュニケーションを嫌っていた。「冷めた中学生」として、セックスするのはこの人、クルマに乗るならこの人、キスをしるならこの人、と自分の欲求に応じて他者を分類していた。

 S君の死を藤井に伝えた渡辺君は、

 「社会に馴染もうとするところがないやつでした」(p47)

 と評していた。S君は高校3年のときのカノジョについて、

 「好き同士で付き合うという感じじゃなくて、別に好きじゃなくてもおれは付き合えるんだよ。告白さえすれば、ああ付き合えるんだなということが分かっていればいいんだ」(p48)

 と渡辺君に言っていた。実験的な付き合いだったようだ。しかし、成熟社会、宮台のいう「終わりなき日常」をどのように生きるのか。S君にとっては課題だった。そのため、何のために生きているのか、意味なんかそんなにないんじゃないか、そう考えていた。

 S君が大学に進学して上京。その1年目に地下鉄サリン事件が起きる。S君は、

 「おれもサリンを撒いたかもしれない。なぜ、おまえはサリンを撒こうとも思わないんだよ」

 と渡辺君に言ったのだ。オウムにとっての「ハルマゲドン」と、S君にとっての「終わりなき日常」。それをつなげたのは「サリン」であり、なにかを変革したい、という欲求そのものだった。そして、S君は、宮台の「終わりなき日常を生きろ」を読むことになる。そして、渡辺君に読むのをすすめる。

 それ以後、S君はフィールドワークに励むことになる。そして日記をつけ始める。様々な日常の記録をつけ、なかには自殺未遂の実験日記もあった。そうした「生きていることの無意味さ」をなんとかつなげたのが、宮台の論理に取り憑くことだった。そして、テレクラやソープのフィールドワークにはまっていく。

 宮台はこのころ、「終わりなき日常」を生きる知恵として、「まったり革命」を唱えていた。どうせでかい一発はもうない。ならば、「まったり」生きて、楽しむしかない。共同体としての「良きこと」は自明ではない。などとして、援助交際する女子高生を引き合いにだしていた。

 (のちに、宮台は、この作戦を失敗と位置づける。なぜなら、「まったり」な女子高生というよりは、メンヘラー女子高生が援助交際に参入してきたからだ。メンヘラーがこの分野に参入してくると、余計にきつくなる)。

 さらに、このころ、テレビ放映がはじまった「新世紀エヴァンゲリオン」の相関図を、自分自身にあてはめていたりする。

「死ねる口実、死を選ぶ理由」を待っている

 そんな中、伝言ダイヤルで、「売春しているが、やっているようには見えない」という美絵と出会う。この出会いがS君にとっては希望だった。渡辺君に「やっと出会えた」と報告するくらいだったのだ。ただ、S君の人生の無意味さ、自殺願望が消えることはない。

 「私が仮に自殺を遂げた場合、周囲の人々は私の決意のきっかけとなった過去における出来事や挫折体験や驚愕体験を探し、それに基づいて適当な物語を作り出すだろう」(p128)

 「ただ言えることは、私の内部の深部にはかなり昔から死を引き起こしうる火種がたくわえられていて何か次の刺激や衝動を受けるとすぐに引火してしまう状況だったことはあたっている。死ねる口実、死を選ぶ理由がやってくるのを待機している」(p130)

 まるで、自殺や犯罪の動機は、周囲が決めるものであって、本人の中には、火種がくるぶっている状況の中で、引き金が引かれるか否かにすぎない、と言っているかのようだ。これは、S君のみならず、すべてのことに言えなくもない。

 こうしてS君は、自殺をしてしまう。地方ではイケメンだったが、東京では普通に見えてしまう「中途半端」な外見。S君は、予定調和を嫌いながらも、予定調和ではない女性との出会いを、テレクラ・ソープ・伝言ダイヤルにしぼった。そこそこのコミュニケーションはありつつ、社交的ではない「どちらかというとひきこもり系」だったからなのか?

 S君は、予定調和の世界を終わらせた。引き金は宮台になれなかったこと。しかし、それは言い訳にすぎないのだろう。世界を終わらせる理由を探していて、たまたま「宮台」を拾っただけなのかもしれない。

 秋葉原の事件の加藤容疑者。S君ほと研究熱心ではないが、ある種のフィールドワークをしていたのかもしれない。

 中途半端な知的レベルで、中途半端なキモメン。どこにでもいるような頭と外見を持ち合わせる加藤容疑者。ネットで、「モテない」と書き込めば、「そんなことない」か、あるいは、「きもい」などの、予定調和のコミュニケーションばかりだったことだろう。加藤容疑者も、S君でいう「美絵」のように、想定外の存在を探していたのかもしれない。

 産經新聞によると、加藤容疑者のメル友の女性がいたらしい。
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080620/crm0806201646025-n1.htm
 記事によると、加藤容疑者は、人間関係に悩んでいた彼女に対し、「生きていれば何とかなる。何かあってもオレがいるから」と優しく励ましたという。

 優しい側面があったのだから、こうした出会いを続けていれば、どこかに「想定外」の出会いがあったかもしれない。しかし、なぜ、加藤容疑者は、そんな予定調和ばかりの世界を終わらせたのだろうか。メル友を作っていた、ということは、まだかすかに期待していたものがあったのではないか?

 しかし、そんな動機と結果を結びつけようとする私に、S君はきっとこういうのかもしれない。

 「彼の内部の深部にはかなり昔から人を殺しうる火種がたくわえられていて何か次の刺激や衝動を受けるとすぐに引火してしまう状況だったことはあたっている。人を殺す口実、人を殺す理由がやってくるのを待機していた」 
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【秋葉原通り魔事件】加藤容疑者のメル友女性告白「悩んでいるようには見えなかった」 (1/3ページ)
2008.6.20 16:45
このニュースのトピックス:秋葉原通り魔事件
 東京・秋葉原の連続殺傷事件を引き起こした加藤智大(ともひろ)容疑者(25)。犯行前に「友達ほしい」「彼女さえいればこんなに惨めに生きなくていいのに」と掲示板に書き込み、孤独な生活ぶりがうかがえるが、1年前の一時期、容疑者には「トモ」と呼んでくれる親しい女性(23)がいた。女性に加藤容疑者の素顔について話を聞いた。(米沢文)

 6月8日午後。彼女は秋葉原の連続殺傷事件を報じるニュース速報にくぎ付けになった。殺人未遂の現行犯で逮捕された男の名前が、自分の知人と同姓同名だったからだ。

 夜になって、容疑者が逮捕された場面などが映像で繰り返し流れ、青森県出身であることが報じられた。それを見て、彼女は容疑者があの「トモ」だと確信した。

携帯サイトで知り合い、「トモ」と呼んだ

 彼女がトモと初めて会ったのは昨年7月末だった。

 携帯電話の出会い系サイトで知り合い、メールを何通かやりとりした。送られてくるメールは笑顔や悲しい顔などのカラフルな絵文字入りで、2、3行の短いものがほとんどだったが、一度始まると何往復もした。

 お互いに青森市に住んでいることが分かり、トモは「会いたい」と言ってきた。

 市内の駐車場で待ち合わせをした。ありふれたチノパンとシャツを着て、髪形には気を使っていないような印象を受けた。

 「きっと彼女はいないんだろうな」

 そう思った。

 名前を「ともひろ」と読み当てると、トモは「珍しいな。1回で読めた人」と笑顔をみせた。彼女はトモと呼ぶことに決めた。

 トモの軽乗用車に何度か乗せてもらった。車内は整頓され、後部座席にはUFOキャッチャーで得たらしいディズニーなどのキャラクターもののぬいぐるみが4、5個並んでいた。会話はあまり弾まなかった。ラジオやCDはかけず、車内はシーンとしていた。

 「この車、ずっと乗っているの?」

 「前はスポーツカーに乗ってたんだけど、事故起こした。今度、GT−R買いたいんだ」

 2人ともゲームが好きで、よくゲームセンターでUFOキャッチャーをやった。一度だけカラオケにも行った。歌を歌うのは好きらしく、一般の人は知らないようなアニメ系の歌を次々と入れていた。

 8月1日には2人で「浅虫温泉花火大会」に遊びに行った。屋台で食べ物を買ったり、花火を携帯電話の動画に撮ったりして半日過ごした。2人でいる間、トモは携帯電話の着信などを気にする様子はなく、親しい友人はいないようだった。

「オレと一緒になればいいのに」
     

 花火大会の翌日。「親に家を追い出された。アパートに引っ越したから来ないか」と自宅に誘われた。

 部屋はアパート1階の1LDK。電気はまだ通っておらず、中は真っ暗だった。壁紙は張り替えたばかりらしく、清潔な感じがした。玄関にはスリッパが2足並んでいた。向かって右側にトイレと風呂、その奥にキッチン。左側奥には居間、その手前に小さな寝室があった。

 居間は10畳以上あり、フローリング床でテレビと大きなクリーム色のL字型ソファが占拠していた。「お金には困っていないのかな」と思う一方でこうも思った。

 「こんな大きなソファに1人でいたら寂しいだろうな」

 寝室には青っぽい絨毯が敷かれ、しわひとつない黄緑色のカバーがかかったベッドがあった。自炊をしている様子はなく、冷蔵庫にはその日の分のコンビニで買ってきた食べ物やプリンなどしか入っていなかった。

 一度、コンビニで買ってきた缶入りのカクテルを部屋で飲んだことがあった。トモは何本か飲んでも変わらず、酒は強そうだった。


 部屋では2人でもっぱらテレビを見て過ごした。夕方にはニュース番組をみることが多かった。バラエティー番組を見ているときなどは、トモは口元に手を当ててクスッと笑うこともあった。

 「オレと一緒になればいいのに」

 本気かウソか分からないが、トモがそんなふうに言ってきたことがあった。彼女は「それはないから」と、それとなく交際を断った。

 帰り際には必ず、「また来ていいから」と言われた。何度目かに自宅を訪れたとき、突然、合鍵を手渡された。

 戸惑いながら「いや」と言うと、トモは「いつでも来ていいから」と鍵を手のひらに押し込んできた。

 「誰かに頼られたいのと、自分も誰かに頼りたいのかな」

 そう思って鍵を受け取ったが、彼女がその鍵を使うことはなかった。

 8月も終わりに近づき、気がつくとメールのやりとりは途絶えていた。

 彼女が連絡先を変えたこともあり、それ以降連絡は一切取っていない。

「生きていれば何とかなる」と言っていたのに…
     

 加藤容疑者は彼女にとって「お兄さん」のような存在だったという。口数は少なく、自分の家族や悩みについて話すことはなかった。

 その代わり、彼女の話はよく聞いてくれた。

 当時、人間関係に悩んでいた彼女に対し、加藤容疑者は「生きていれば何とかなる。何かあってもオレがいるから」と優しく励ましてくれたという。

 当時を振り返り、彼女は「あんなふうに言っていたのに、自分がそうなったら(事件を起こしたりしたら)ダメだよ」と語る。

 彼女は加藤容疑者について「病んでいたり、悩みがあるようには思えなかった。もし悩みがあったのなら、私が聞いてあげていれば、あんなにたくさんの人を殺さずにすんだかもしれない」と唇をかむ。

 わずか1カ月間のつきあいだったが、今回の事件で、彼女自身もショックから立ち直れないでいる。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080620/crm0806201646025-n1.htm

2008.06.22 Sunday | 書評 | comments(2) | -
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コメント
はじめまして。
リンクは歓迎します。
相互にしておきます。
よろしくお願いします。
| 渋井哲也 | 2011/06/13 1:24 AM |
はじめまして。
宮台真司を調べていたらたどり着きました。
よかったら私のブログにリンクしてもいいでしょうか。
相互にしなくても大丈夫です。私がたまにお伺いしたいだけなので。
よろしくお願いします。
| 相沢祐香 | 2011/06/11 10:49 AM |
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